「あなたの夢は、何ですか?」と問われると、「さー、昨日の夢は何でしたかね〜」と私はいつもとぼける。
男にとっての「夢」って、そんなに簡単に言えるものではないし、言うべきものでもないと思う。「夢」は、それに向かって走り続けるものであり、時には掴めないと分かっているからこそ走り続けられるもの。
「ゴール」は必ずしも到着する必要も無ければ、大切なのは、そこに向かって歩んだ経験からなる「Being」や「Becoming」であると自分は信じる。
アメリカでよく「Ph.D Depression」と言う言葉をきく。「修士号」の後「博士号」を修得した人たちが、「学歴」という頂点までたどり着いた時に起こる「あらっ、次に何すればいいの?」からくる、「うつ病」である。彼らにとって、最初に目標としていた「博士号」と書かれた紙一枚の「表彰状、あんたはえらい」が、最後にはどうでもよくなり、結局は、そこにたどり着くまでの様々な「岐路」が本当の価値だという。
例えば、「5」に達成するのには、色々な道がある。「0」を出発点とすると一般的に、1−2−3−4−5。安全圏を極度に重視するtheoretical(理論的)教育制度のドイツや日本では一般的にこれしか認められない。でも実際の所、0−1−3−2−4−5や0−1−2−4−3−5といった道のりもあれば、ちょっと邪道だがとてもPractical(実践的)な、0−2−1−4−3−5だって、結果論としてみれば同じ事。順番がどうであれ、達成するまでの道は人それぞれ違うから自分にしか分からない、「塩っぱさ」、「からさ」や「にがさ」からくる「辛さ」や、「甘さ」や「らくさ」からくる「楽しさ」が味わえる。それが「人」それぞれの「生き方」からできる「人生」だと思う。
「物事には順番があ〜る!」概念のニッポンの、おなかが大きくなる前に式を挙げる「急遽出来ちゃった結婚式」もあれば、子供がそれなりに大きくなってから、「家族みんなで楽しむ結婚式」も、結局は「5=Deam」が「幸せ」で、そこまでのいろいろな「岐路=ルート」があったほうが、人生もっと面白いと自分は信じて生きています。
「夢」は「永遠のジャーニー」であり、「永遠のジャーニー」は、男にとっての「ロマン」であります。
あらっ、ちょっと話しずれちゃったかなっ。うひょひょひょひょ〜♨
テット懐メロん第8回:
ワタクシ心の中は毎日が太陽の日、SUNDAYであるように心がけています(難しいですけどね)
今年の盆踊りは、この曲で踊りまくりましょう!
http://www.youtube.com/watch?v=d1Gzcwplr3A
http://www.youtube.com/watch?v=DwjuKhBIIIQ <---original
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