Friday, February 26, 2010

Sayonara Samurai Chommage (ponytail)








2008年、夏、妹のようなベストフレンド、レンカ(チェクリパブリック出身のモデルちゃんで、ハズバンドは自分の所属するQモデルで、ふたりとも兄弟のような存在)が白血病であることが発覚した。強烈にショッキングな報告だった。神様に彼女の運命を預ける事しかできず、3日後に撮影のため日本へ飛んだ。撮影の合間、ハズバンドのジェミーに連絡すると、睡眠なしでホスピタルにいるため、疲れきっていた。いつもパワフルでポジティヴな彼からあんなに衰弱している声を聞いたのは、過去10年はじめての事だった。日本から唯一レンカにできることは、彼女の大好きな日本のグッズをお土産にもっていくことだった。キューピーちゃんが着物を着て頭にお飾りをつけている携帯ストラップなどを買い集め、5ヶ月後にニューヨークへリターン。カツラをかぶるような性格ではないレンカは、やはりスキンヘッドだった。げっそりとした彼女は「病院はつまらない、はやく遊びに連れてって!」だった。整ったフェイスの彼女には、スキンヘッドもキュートだったが、なんだかそのとき心のどこかで自分自身に矛盾を感じたのは確かだった。女の子にとって「髪の毛」は本当に大切な物。なら自分のトレードマークでもある、「ロン毛」をもっと延ばして、いつか癌と戦っている子供たちに寄付しようと考えました。最低25センチの束ねた髪というのがガイドラインに載っていた。一年半後の今、その時がやってきました。
レンカは2004年にタイのバンコクでモデル仲間として知り合った、自分にとってとても大切な子。とにかくやんちゃで、ニューヨークから来た何も知らないかなり年上の自分を毎晩パーティーに連れて行ってくれ、色々なファッション業界の重要人物を紹介してくれたアジアのトップモデルであった。そんなレンカの「やんちゃ」さにはそこらの少年モデルでは歯がたたずだった。10日後にバンコクに来るニューヨークで同エイジェンシーのジェミーを待ち遠しくしながら、毎日を満喫させてくれたのはレンカだった。やっとジェミー到着!いっそう夜の遊びが激しくなる一方、昼間のモデルも忙しくなる。自分は一ヶ月でニューヨークへ戻ったが、ジェミーは案の定レンカとくっついて、ノンストップで仕事が入り3ヶ月、6ヶ月、一年、と香港、台湾、韓国、シンガポールと飛びまくった。そんな中、彼らに「夫婦」役の撮影が入り、ある遠い南の島に飛んでいる途中に機内でマイクを借りて、ジェミーの「プロポーズ」が行われ、機内は結構もりあがったそうだ。同い年のジェントルなジェミーらしいロマンティックな、めでたいプロポーズであった。
ニューヨークに二人が戻って来てからも、レンカはトラブルメーカーで、我々二人が目の離せない状態だった。とにかくケガが立て続けである。ある夏のホームパーティーでは床が血の足跡だらけで、そしてレンカがいない!その血は一階どころか二階の部屋まで続いてる。やっとのことでレンカを発見したのはバスルームの中、「ジェミーには言わないで!お願いだから!おこられちゃうから〜!」なんていわれたって、こっちはどこから血が出てるのかまず調べないといけないし、彼女は泣きながらパニック状態だし。。。プールサイドで誰かアホが割ったビール瓶の破片にステップしたのが原因で、よくみるとぱっくりと足の指が切れていて、筋肉の筋までみえている。そこで、「とにかく傷を見せろ!」by ジェミー & 「何でもないから、見なくていい!」by レンカの、分けわからん「パニックファイト」が始まり、た い へ ん。
ま、結局、一件落着したのですが、こんな事はいつもの事。ここに書いたら切りがない。でもレンカは全ての山をクリヤーしてきてるし、白血病もなんとかクリヤーして、今はまた「やんちゃレンカ」ともどり、モデルもうまく行っているので、オールグッド! 次は一体、何をしでかすのやら。。。
それから今回、スタイリングしてくれたのが、よしくん。彼は何年か前、ニューヨークでヘアーを修行しているきときに知り合いました。今は日本でサロンを開いてとても成功している頑張りやさんの、僕のリスペクトする一人の「プロ」であります。自分のように、太く直毛でやりづらい頭をかっこ良くしてくれます。今年の末に彼の「夢」のニューヨーク支店が現実となります。男前ですし、やさしく、とにかく真剣に、髪を切るときの手がセクスィな「よしくん」でございます。今回は本当にありがとう!www.hearts-hair.com

1 comment:

mako said...

NYに戻ってこられてから
BARでお会いした際、役で髪を短くされた事とかってに想像していましたが、その様な断髪の物語があったとは知らず、感動しました。
想いを込めた「SAMURAI CHOMMAGE」 心意気も癌と闘う子供達に届いたはずです。

よし君には四年前に一度お会いした事があり、
お世話になったJ君宅で、Orenge bleueの先輩D君と四人で呑ませて貰った事がありました。
その時よし君が作ってくれた肉じゃが
の優しい味今でも覚えています。